暮らすように旅する|潮垢離column

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2022/12/05

【レポート】潮垢離ワークショップ

潮垢離を知り、現代のSHIOGORIへ

ワークショップ開催概要

SHIOGORIプロジェクトを進めていく上で、田辺周辺の地で古来からた伝えられてきた潮垢離という儀式について、改めて歴史を知り、知識を深めておかないと、これから生み出していく事業やコンテンツに重み、深み、ストーリー性を欠き、すぐに廃れてしまうものになってしまわないか、とプロジェクトチーム内でも協議し、有識者や関係者によるワークショップを開催しました。

 

■日程
2022年12月3日㈯ 17:30~
■場所
tanabe en+ 2階 ワークスペース
■参加者
大河内智之(奈良大学)
多田 稔子(田辺市熊野ツーリズムビューロー)
尾崎 弘和(南紀みらい株式会社)
杉若 雅宣(ガーデンホテルハナヨ)
横田 達夫(株式会社横田)
浦辺 和彦(漁師・江川)
熊野 雅仁(田辺市たなべ営業室・田辺祭り関係者)
中川  貴(田辺市文化振興課)
飯田めぐみ(熊野本宮語り部の会)
福田  聖(シオゴリプロジェクト)
武田 国貴(シオゴリプロジェクト)

 

潮垢離ワークショップまとめ

ワークショップでは参加者それぞれがもっている資料や知識、そして様々な意見を持ち寄っていただきました。
それぞれの想いや潮垢離に関する考え、現代にも息づく風習など、非常に有意義なワークショップ内容に。
今回のワークショップの内容を、座長である大河内氏に以下の短文にまとめていただきました。

【短文】
熊野古道・出立王子においては、熊野参詣の人びとが海に降り立ち潮垢離を行った。参詣道は出立王子から東へと向かい、いよいよ熊野の山中へと入っていく。海から離れる最後の潮垢離の場であり、また熊野別当の拠点であった田辺では、広く秀麗な宿舎も設けられたことがさまざまな参詣記に見える。ここは盛大なもてなしの場でもあった。
潮垢離とは、海の中で垢離をかく修行である。祓いや清めとはまた異なる、修験道や密教の行方として行われたものである。単に汚れを落とすことにとどまらず、行を通じて験力・霊力を蓄え、神仏にまみえるための準備を重ねていった。建仁元年(1201)10月に行われた後鳥羽上皇の熊野御幸に付き従った歌人藤原定家は、10月12日に出立王子に到着し、折から吹いていた寒風に体調を崩しながら、1度でよい潮垢離を2度も行っている。潮垢離を行うことが、病を癒やし力を蘇らせるものとの思いがあったようだ。
近世に入り、熊野信仰はかつての隆盛からは下火になり、熊野修験の行としての潮垢離もまた歴史の中に埋没していく。しかし田辺の潮垢離は、田辺祭の中に伝え続けられてきた。田辺祭の際に城下を練りゆく傘鉾の山車は、まず江川で潮垢離を行われる。現在は潮水により祓い、清める所作として継承されるが、昭和の早いころまでは、実際に海中に進み入れ、激しく潮で洗われたという。そこには、かつて熊野参詣の人びとが行った、行法としての潮垢離の要素もまた含まれていると見られる。かつて今熊野社と呼ばれた闘鶏神社。熊野への入り口(口熊野)における祭祀では、かつての熊野参詣の行を取り入れ、継承されたのであろう。
田辺においては潮垢離が、平安時代の熊野参詣から現代の田辺祭まで、人びとの祈りと結びつきながら脈々と息づいてきた。垢離により新たなエネルギーをまとうその行為にみられる象徴性は、田辺の人びとを活性化する場・事・物を結びつける力に満ちているといえる。こうした認識をSHIOGORIプロジェクトに肉付けしながら、事業の展開を考えていく必要がある。

潮垢離から現代のSHIOGORI、観光・まちづくりへ活かす

大河内氏にまとめていただいた短文にもあるように、歴史的には禊や清めの儀式として印象のある潮垢離でありますが、この田辺の地においては自然から何かしらのエネルギーをもらい、次のステージへ進む糧とするための儀式として地方の祭りなどへ根付いていったと見受けることができます。
そういった見解は、現代のSHIOGORI:潮垢離を表現し、観光・まちづくりに活かしていくには相応しい見方ではないでしょうか。

身も心もリフレッシュするだけでなく、新たなスタートを切るためのエネルギーをこの地で得る。

SHIOGORIプロジェクトではそういったコンセプトを掲げながら各種事業を進めていきたいと思います。