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2023/11/27

【コラム】「熊野古道」ってなに?

熊野古道は、大阪や奈良、三重と和歌山の「熊野三山」を結ぶ道を指します。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界文化遺産に登録され、近年では欧米諸国からの観光客が増えています。熊野三山を巡る「熊野詣」は日本人の旅(巡礼)の起源ともいわれており、平安時代には上皇から庶民まで、多くの人が熊野の地へ御加護を求めて遠路はるばるやってきました。

熊野古道を含む熊野三山や熊野信仰は歴史が深く、一言で表せられるものではありませんが、世界遺産に登録された所以や概要について簡単に紹介します。


そもそも―熊野三山とは、熊野信仰とは。

熊野三山は、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の総称です。元々は、熊野本宮大社・熊野速玉大社は熊野川、熊野那智大社は那智の滝を御神体とした自然信仰(神道)が始まりでしたが、仏教伝来後は日本全体に「神も仏も同じものである(神仏習合)、神は仏の化身として現れた権現である(本地垂迹説)」といった考えが形成され、熊野の地ももれなく同様に浸透していきました。都の南であった紀伊半島は、深く険しい山々の向こうに大きな海も広がっており、山岳信仰、神話、密教に加えて、海の向こうに浄土があるとする補陀落渡海信仰なども結びつき、重層的な信仰の地となっていきました。


自然を敬い、神も仏も大切にする精神は日本固有であり、現代の日本人の心の中にも無意識のうちに宿っていると思われますが、その色を強く残すのが熊野三山であり、世界文化遺産に登録された重要な点でもあります。民衆で開いた熊野信仰は何に対しても寛容で、信不信や浄不浄、男女貴賤を問わずに誰をも受け入れる熊野に、救いを求めて祈り詣でるのが熊野信仰です。
熊野は日本人の精神であり、平和の象徴でもあると言えるのです。

「熊野古道の何がすごい?」

①異なる宗教を結び、共栄している

熊野古道は、細かく分けると紀伊路、中辺路、大辺路、伊勢路、大峯奥駆道、高野山町石道、小辺路と呼ばれるルートがあります。大峯奥駆道は奈良県中部の「吉野・大峯」とつながっており、高野山町石道・小辺路は和歌山県北部にある「高野山」とつながっています。

吉野・大峯は、山岳信仰に陰陽道などが融合して形成された“修験道”の本山、高野山は、弘法大師空海が開創した“真言密教”の道場、熊野三山は“熊野信仰”の中心地です。三つの霊場は異なる信仰でありながら、熊野古道によってつながっています。

異なる宗教が共存・共栄し、それぞれが結びついている場所は世界でも他にありません。

②1000年以上前から歩かれている1000kmの道

熊野詣の歴史は古く、平安時代から鎌倉時代にかけては法皇や上皇が100度も参られたという記録が残っています。天皇という大役を終えた貴族たちは、現世の魂の浄化や来世への祈りのために、南の果てにある黄泉の国 熊野にこぞって訪れました。

いわゆる「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど、多くの巡礼者が歩いた熊野古道ですが、紀伊半島全域に広がる道をすべて合わせると、総距離は1000kmを超えます。この道が1000年の時を経てもなお形を残しているのは、熊野古道が巡礼(観光)の側面だけでなく、地域の人にとっての生活の道、産業の道という役割が大きかったからだと言えます。熊野詣の巡礼者が減っても、産業や社会が発展しても、その地域に住む人によって自然を守り共存させてきたことで、今日まで受け継がれてきました。特に、最も人気で有名な中辺路は、先人たちと同じように、木々に覆われ、木漏れ日の差す土の道を歩きながら、熊野三山まで詣でることができます。


熊野古道は決してやさしくない道ですが、大自然の中に身を投じ、歩くことを通して自己と向き合うことで、新たな自分に生まれ変わる「よみがえり」を実現することができるのでしょう。太古より受け継がれてきた生態系豊かな森や海、その地に住む人々の生活や熊野詣の文化がさらに1000年先まで続くよう、熊野について理解をしたうえで多くの人に歩かれてほしいと思います。