2024/05/27
【レポート】南方熊楠生誕記念日イベント
今年で157回目の生誕記念日
2024年5月18日(土)、和歌山県田辺市にある南方熊楠顕彰館にて南方熊楠生誕記念イベントが開催されました。
普段は公開していない南方邸(母屋)の内部を、年に1度、熊楠の生誕した5月18日に公開しています。この日は顕彰館オリジナルグッズ抽選会があり、扇子や便箋、マスキングテープなどが先着30名の方にプレゼントされました。
南方熊楠と南方熊楠顕彰館についてはこちら
南方熊楠は大正5年以来この邸に住み、庭を研究園としていました。敷地面積は約400坪あり、母屋と土蔵、貸家(2軒)などがありましたが、書斎についてはこの邸に移る際、前の借家(藤木別邸)から移築しました。
母屋
母屋がいつ建てられたのかは明らかではありませんが、もと藩士の屋敷であったところを分筆したといわれており、前住者は熊楠の旧知で渡辺和雄氏(陸軍中佐、のち黒江町長)でした。
書斎
熊楠が研究や筆写などを行っていたところです。
土蔵
およそ2万5千点以上の文献や抜書などがぎっしりと収められていたそうです。
楠の木
この楠の木は1916(大正5)年、熊楠が入居したとき、すでに庭園を覆うばかりにそびえていました。自分の名前と同じ「楠」の一字があり、特別な愛着を抱いていました。
センダンの木
古くはオウチと言われ「楝」、「樗」の漢字が充てられ、暖地の山に自生し観賞用として庭によく植えられていました。6月頃うすむらさき色の花が咲き、遠めに見るとフジの花のように美しいと熊楠は讃え、昭和4年、ご進講のあと「有難き御世に樗の花盛り」とその心境を詠いました。また、臨終の床で「天井に紫の花が咲いている」と詩のような言葉を遺していますが、それは夢うつつに顕われたセンダンの花だろうと言われています。
安藤みかん
田辺・上屋敷の旧藩士、安藤治兵衛の邸内に大きなみかんの木があったところから安藤みかんと呼ばれました。安藤邸のみかんが枯れると次に大きかった熊楠邸の木が天然記念物に指定されました。熊楠は毎日このみかんの汁を飲み、友人にも贈り、付近の農家には栽培を呼びかけていました。
他にも様々な種類の植物が植えられており、この日は梅も赤く実っていました。みなさんも南方熊楠顕彰館を訪れ、熊楠の息吹を感じながら、四季折々の風景を楽しんでみてはいかがですか。
南方 熊楠 (みなかた くまぐす)
1867年5月18日~1941年12月29日
博物学、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在であり、同時に植物学、特に「隠花植物」と呼ばれていた菌類・変形菌類・地衣類・蘚苔類・藻類の日本における初期の代表的な研究者。
和歌山城下に生まれ、大学予備門(現東京大学)退学後、1887年から1900年にかけて米英に遊学。帰国後の1904年から田辺に定住し、人生の半分、37年間を田辺で過ごし、研究の場とした邸宅は登録有形文化財として今も田辺市に残っている。
〒646-0035
和歌山県田辺市中屋敷町36番地
TEL : 0739-26-9909 FAX : 0739-26-9913
開館時間 10:00~17:00
最終入館 16:30
休館日 月曜日、第2・4火曜日 祝祭日の翌日
様々な資源、魅力が詰まった田辺市街地
今回ご紹介した田辺の偉人であり、世界的な博物学者である南方熊楠と顕彰館。南方熊楠は田辺の三偉人の一人であり、ほかには合気道の開祖・植芝盛平、源義経の家臣とされる平安末期の僧・武蔵坊弁慶がいます。田辺市街地周辺には、三偉人ゆかりの地が随所に存在し、それを巡る街歩きもおすすめです。
SHIOGORI PROJECT(シオゴリプロジェクト)では、田辺の海と街における有意義な過ごし方を提案し、現代のSHIOGORI:潮垢離を表現しており、こういった田辺市街地の資源や魅力を発信しながら、関係機関と密に連携し、SHIOGORIをキーワードとした新たな価値を創っていきたいと思います。
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SHIOGORI PROJECT(シオゴリプロジェクト)
さまざまなコンテンツ開発と地域資源をつなげながら、扇ヶ浜を起点に田辺の海、街を現代版の「SHIOGORI:潮垢離」の場として改めて確立し、新たなまちの価値創造、地域ブランディングを行う観光・まちづくり事業。
2022年より、田辺市熊野ツーリズムビューロー、南紀みらい株式会社、AND LOCALの3社連携により取り組んでおります。